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2006年09月24日 17:55

昭和19年の9月24日!

週1の女、ゆっちんです。
先日お話した昭和18年から、今日は昭和19年です。
昭和19年の今日はどんなことがあったのかお伝えしますー。

<昭和19年9月24日のニュース>

・早大で卒業式。前年秋の学徒出陣で仮卒業のまま入営した在京の学生が軍服姿で出席した。

・東京都経済局長、非常食糧に関し「備蓄量は当局を信じているが、輸送・保管が不安」と発言。

 

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昭和19年、日本は相次いで玉砕し、戦局の悪化にともない

「一億、戦闘配置につけ」

のかけ声が日増しに強くなった時代です。
閣議は緊急国民勤労動員万策要綱」を決定し
国民の「勤労動員」が本格化。
女性は挺身隊として、学生は学徒勤労動員として
軍需工場などに集められました。労働力が100%活用される時代になりました。

 また空襲に備えて都市には「防空空き地」が必要だと、
東京や名古屋などの大都市では建物取り壊しの強権発動が開始された。
住み慣れた家屋や土地からの立ち退きを迫られた住民は地方に
縁故を頼って疎開することが進められました。
都市から立ち退き、疎開を求められたのは建物や
そこの住む住民だけではなく全国12都市の小学生50万人が
食糧も比較的多いとされた地方に集団疎開に向かいました。
しかし疎開先の生活環境は酷いもので楽ではなかったそうです。

 戦地に向かう兵士たち同様、残された民間人もまた
それぞれの大変さ、つらさ悲しさがありました。

 

 ※「昭和」 第6巻 講談社
「実録昭和史」 ぎょうせい
を参考にしました。

 

2006年08月24日 19:51

アメリカ人の自動車は右側通行!!

みなさんこんばんわ★ゆっちんです。

ちょっとご無沙汰でしょうか??公開まで秋、冬、春、夏・・・と
いくつも季節を越えるため、最近は週1回更新を目標にがんばっております。 

前回終戦記念日のことをお知らせしましたが、今日は・・・ 

終戦を迎えた日本!!アメリカ軍が連合国の一部28日から進駐を始め、
どんどん日本に入ってくる中で、混乱が起こるのは必然のこと。
こんな記事が載っていたのでご紹介します。

「何しろ我々の経験にない未曾有の事態であるから・・・
特に連合国と接触の深くなる地方においては米・英軍の国民性についても
常識を養っておく必要があるであろう」

今まで敵だったアメリカ人が、そして
「アメリカ人の大部分は日本人のことを知らないし、
日本人の大部分もアメリカ人のことを知らない。
日米開戦以来アメリカ人の一部分は日本人といえば猿に近い人種だと
いうことを吹き込まれ、日本も、アメリカは文明の仮面を被った
野獣であるという風に教えられている。」

こんなお互いの情報もなく、誤解がたくさんある者同士が同じ土地で暮らす。
これは大パニックです!!!今のように情報がたくさんあるわけでもなく、
新聞も
GHQによる検閲を受けていて、必ずしも事実を書いているわけでは
ありません。そんな状況の中‘全くの未曾有の事態’が起こってはパニックです。

そんな中で言葉や習慣、風俗の違いから思わぬ誤解を招かないように、
注意点が書かれていました。

題して!!「連合国進駐と国民の心構え」

    日本人としての自尊心を持て
日本人の態度が重要。アメリカ人同士はどんなに偉い人でも低い人でも
法律的には平等であるという観念があり、みんな平等に付き合うことが必要。
日本人の礼儀としてあまりペコペコ頭を下げたり、謙遜した態度を見せると、
いかにも日本人は程度の低い、奴隷みたいな国民だという感じを与えてしまうことが
多いのではないか。余り低くでることは礼儀と見られず、
程度の低い国民だと思われてしまう可能性がある。

    アメリカ人の自動車は右側通行
交通ルールを決めておかないと、今に至るところで毎日毎晩交通事故が起こるようになる。

(第1線部隊は自動車、運転手は日本人がやっていたので、まだ大丈夫だったようです)

    愛想笑いも相手には不快な印象

④  元の日本人に戻れ!
元々日本人は毎日お風呂に入り、家の中を毎日掃除し・・清潔な国民だったのに、
戦争になって空襲で町は汚くなり、そういう習慣がなくなってしまった。

まとめると、アメリカ人の上層部も日本のことを熱心に勉強し理解しようという
姿勢を見せているわけで日本人もアメリカのことを勉強しよう。
そこで日本人だからといって卑屈になったり、アメリカかぶれになる
必要はないといった内容。

自動車は右側通行!ってちっちゃいけれど大変な事態ですよね!?
今では世界各国の 情報がすぐネットなどなど調べられるけれど
当時の人は口コミだったりで、色々な変なうわさもたくさんあったことでしょう。

ということで今後、当時の今日はどんな状況で、どんなニュースがあったのか?
ということをご紹介していけたら~と思っております!! 

※週刊朝日 8月26日号を参考にしました。

2006年08月15日 17:55

8月15日・終戦記念日

今から61年前の1945年(昭和20年)の8月15日、戦争終結の大詔渙が発せられました。

この日の新聞の見出しは

「新爆弾の惨害に大御心 帝國、四國宣言を受諾

畏し、萬世の爲太平を開く」

新聞には前日公布された、大東亜戦争終結の詔書が記載され、
1941年12月8日の真珠湾攻撃から3年と8ヶ月
そして昭和1944年10月25日に神風特別攻撃隊による初めての
特攻が行われてから10ヶ月に亘る戦争が終結したのでした。

降伏の決定的な要因となったのが、『科学史上未曾有の惨虐なる効力を有する原子爆弾』
広島、長崎と続いた原爆投下が大きな要因となり、日本は降伏を決めたのだった。

そこから61年。ぼろぼろになった日本がそこから新生に向け動き始めます。

当時の様子として、東京のその前後、‘戦災跡を巡る’レポートが
掲載されていましたのでここで
紹介したいと思います。 

まず東京駅。ぱっと見は元の東京駅ですが、実は天井と裏側がない!
京橋から日本橋までは多く焼け崩れ、どこを振り返っても灰瓦礫の状態。

銀座は、鉄柱鉛管が飴のようにとぐろを巻き、
銀座のシンボルとも言える時計塔が3時7分前を指したまま止まり、
「銀座」としての見る影はない。
しかし、三越、松屋、松坂屋さんは1
Fだけを利用して営業を開始し、荒廃した中でも新生の息吹が見え始めているようだ。
日本は再生に向け早くも動きはじめているようです。

今日の銀座は、連休中ということもあり、ショッピングバックを持った人で
いっぱい!! 61年前のこの状況、想像もつきませんね・・・。

 

©「俺は、君のためにこそ死ににいく」製作委員会