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2006年06月22日 20:14

本編B班撮影終了

スズナリです

「俺は、君のためにこそ死ににいく」の
B班の撮影が6月21日にアップしました。

このB班の撮影は、戦闘機「隼」のコックピット内の特攻隊員の
表情であったり、突撃される戦艦の甲板のアメリカ兵の様子を
ブルー(グリーン)バックで撮影しました。

「隼」に搭乗した中西(徳重聡さん)は
毅然とし、表情が引き締まり、
気迫に満ち溢れていました。

「隼」コックピットの撮影では、追撃される
シーンもありました。
特攻隊員のリアルな表情を、是非スクリーンでご覧下さい。

また、「隼」に突撃される米戦艦の逃げ惑う米兵の表情も
リアルに撮影されています。

忘れてはいけないのが突撃した特攻隊員、
突撃された戦艦の米兵、
どちらにも愛する人や家族がいたという事です。

2006年06月20日 20:58

「俺は、君のためにこそ死ににいく」の特撮現場!!

スズナリ軍曹です

戦闘機「隼」が戦艦に突撃するシーンを再現するのに
「隼」のミニチュアを使用しています。

これがまた、ミニチュアといってもすっごい迫力!!

5月上旬に茨城で、工場を借りて、撮影が行われました。



お写真を見ても、お分かりになるかと思いますが、
爆破シーンが衝撃的。

私、スズナリが爆破シーンの正面からカメラを構えていましたが、
ドカーンという音と共にぱらぱらと破片が顔に落ちてくる。
しかも、熱っ!!

こうして迫力のある緊迫したシーンが撮影されたのです。



撮影した映像をチェックする特撮監督&スタッフ



こういった映像がCGと合成されます。
是非、特撮の部分も映画をご覧になる時は楽しんで下さい。

2006年06月13日 22:16

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その6

スズナリ軍曹です

皆さん、ワールドカップはご覧になりましたか?
初戦は残念な結果となりましたが、
引き続き日本代表を応援していく
「俺は、君のためにこそ死ににいく」宣伝チームです

本編撮影は順調に進められています。
クランクアップはもうすぐ。
知覧でクランクインしたのが3月27日です。
月日が経つのは、早いものです。

そうそう、本編にはこんなシーンがあります。

終戦後の現代のシーンでトメさん(岸惠子さん)が特攻隊員達を
思い出しながら猿山という山から知覧飛行場跡を眺めるシーンがあります。

メイキング撮影班の私達もその山に登って撮影。



知覧の飛行場跡が一望出来ます。

この場所に「大金鶏菊」(オオキンケイギク)という花が咲きます。



まだ、このころ花は咲いていませんでした。

知覧、鹿屋、開聞岳地方ではこの花を「特攻花」と呼んでいます。
陸軍沖縄特攻作戦が始まった1945(昭和20)年3月ごろに芽を出し、
最後の特攻隊が出撃した6月に実を結んだため、「特攻花」と
呼ぶようになったという説があります。

この花を特攻隊員は沖縄へ行く途中、開聞岳の上空から地上へ投げました。
それが、今となっては開聞岳の裾野で咲き乱れているようです。

開聞岳は特攻隊員たちが最後に目にする日本の風景だったと言われています。

2006年06月08日 23:50

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その5

スズナリです。

本作の陸軍戦闘機「隼」がTV、一般紙、スポーツ紙等で
初お披露目された事は、皆さんもご存知かと思いますが、
戦時中このような大きな機体は、敵の爆撃を避ける為、
間口15m、奥行き13m、高さ3mほどの【掩体壕】という、
飛行機を守る為の防空壕に隠されました。

斜面を利用したり、土を盛ったりして馬の蹄鉄型の壕で、
天井は無く、擬装といって杉の幼木を切り、機体に立てかけて
飛行機を隠しました。



掩体壕跡地がある林へ向かうメイキングクルー



林の中へ



跡地

上の写真の場所に飛行機が隠されていたとの事でした。

立てかけた杉が枯れて茶色になると、また緑の幼木を立てかけたそうです。
擬装は主に女子挺身隊員のお仕事でした。

この掩体壕から飛行場まではおよそ2kmぐらいはあったと思います。
当時、町の人や整備兵の力を借りてあの2トン以上の機体を運びました。

私達も本作の為に作った実寸大の「隼」を持ち上げましたが、
大人の男性16名でもなかなか持ち上がらず相当苦労しました。

2006年05月30日 23:29

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その4

スズナリです

今日は、とっても温かい気持ちになるお弁当を紹介します。

鹿児島・知覧でのメイキング映像を撮影中に
富屋旅館で食べたお昼ご飯。

その名も【トメさん弁当】



この包みをひらくとぉ~



ジャーン!!


彩り豊かなカワイイお弁当!!

さつま揚げとカイモの天ぷら。
(カイモとは、サツマイモの事です)
田舎風お煮しめ。
ガランツ。
(ガランツとは鹿児島近海で獲れたイワシ類をそのまま干したもので、
からからに乾いていることから地元でこう呼ばれている干物のことです)
御味噌汁に黒米と白米のおにぎり。(黒米とはモチ米のこと)
そしておしんこ。
なんか、素朴で優しい気持ちになります。

おにぎりはふっくらモチモチ。
黒米は、ふつうのお米にほんの少量混ぜて炊くと、
ピンク色に炊き上がります。
このおにぎりがとてもおいしい!!

【トメさん弁当】を鹿児島・知覧に行かれたら
富屋旅館に寄って是非お召し上がり下さい。

2006年05月23日 23:50

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その3

スズナリ軍曹です。

鹿児島日記もついに佳境を迎えました。
私は知覧で、いろいろ特攻隊員達のゆかりの場所を
まわってきたので、そのお便りをお送りいたします。

太平洋戦争末期、特攻隊員が宿舎としておりました
「三角兵舎」というものがございました。
これは知覧の飛行場周辺の松林の中に散在し、半地下式木造の
バラック建てで、地上には三角の屋根しか見えず、
屋根の上には大きな木を横倒しにして擬装されている宿舎です。



特攻平和会館に復元された三角兵舎

特攻出撃の命を受けた隊員はこの宿舎で最後の夜を過ごしました。
私が訪れた「三角兵舎」は町から少し離れた山の中にありました。




三角兵舎跡地へ向かうメイキングクルー



山道の階段を上るメイキングクルー

ちょっと急な山道の階段を、重い撮影機材を担ぎながら上ると
そこには、林の中の木漏れ日を受ける祈念碑がありました。




三角兵舎跡 祈念碑 1



三角兵舎跡 祈念碑 2

この三角兵舎跡地には、毎年慰霊祭の日に奉仕隊であった方々が
お参りに来るそうです。

きっと、当時の特攻隊員達は泣きたくても泣けず、
家族、恋人、親しい者、お世話をしてくれた奉仕隊に
この「三角兵舎」内で、胸のうちで別れを告げ
出撃の朝を迎えたんだと思います。
奉仕隊の方々も自分がお世話した人が、もう会えない人となると思い
どれだけ胸を痛めたのでしょう。

2006年05月16日 23:45

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その2

こんにちは、スズナリです
「スズナリ軍曹の鹿児島日記 その2」です。

5月3日に第52回知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われました。

特攻平和観音堂の前には大きなテントが張られ、
全国各地から特攻隊員の遺族の方々、
元特攻隊員の方、鳥濱トメさんの遺族の方、なでしこ隊であった方々など
多くの人がいらっしゃいました。




鹿屋海上自衛隊が操縦する対潜哨戒機P3Cが会場上空を3回旋回し、
厳粛な式が開始され、亡き特攻隊員達へ読み上げられる読経とともに
特攻隊員の方々とゆかりのある方々のご焼香。
関係者の方が観音堂の階段をゆっくり上がり、
観音像へお祈りを捧げる姿を目の当たりにすると、
何も考えられずただただ俯いている自分がいました。

参列者全員による献花も行われ、観音像の前に多くのお花が飾られました。




昭和30年9月28日より、この場所に観音像が安置されてから鳥濱トメさんは
毎日のようにお参りを続けたそうです。
亡くなった特攻隊員達に捧げる花が枯れないように。

若くして亡くなった特攻隊員は決して笑って出撃したわけでは無い。
特攻隊員達と触れ合っていたトメさんはそうおっしゃっていたそうです。
特攻隊員達の真実を後世に伝え、二度と戦争をくり返してはいけないと。



今、戦争を知らない多くの方達が全国から知覧へ来て、観音像にお花を捧げに
いらっしゃっています。

2006年05月09日 22:21

スズナリ軍曹の鹿児島日記 その1

スズナリです。こんばんは

5月2日~5月5日まで知覧へ行って参りました。
知覧でのスズナリ日記をお便りいたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2日、11:30に鹿児島空港に到着。
(羽田空港で20分ぐらい離陸するのが遅れましたが…)
鹿児島の空は曇り
ビックリしたのが鹿児島空港に天然温泉の足湯がある事。
「おおっ、帰りに入ろう」
とメイキングクルー。
おいおい、もう帰りの話ですか?まだ1つも撮影していませんが…

雨は降らず、とりあえず安心。
予約してあるレンタカーに、東京から持ってきた重たい撮影機材を積み込み、
向かうは、いざ知覧!!
鹿児島空港から1時間ちょっと。

途中、メイキングディレクターに「あれが桜島だよ」と言われ、
「あ、あれですか?あの、うっすら見える山。へぇ~」と言ったものの
天気が悪く私には見えませんでした

九州自動車道を南下すると指宿スカイラインにつながり
すごいカーブの連続。
おっ、このまま気分が悪くなるかも…
スズナリ軍曹はここで車酔いの為、メイキング班から脱落か!?
と思いましたが無事到着。

知覧の町はとても穏やかでした。
なんだかほっとするなぁ~と思っていると
車窓から見える“ホタル館”と“富屋旅館”の看板。
ここが実際、トメさんと特攻隊員が触れ合った場所…。
と思うと胸がジーンと来ました。
必ず寄りたい。必ずここだけは見ておきたい。と心に誓いました。

特攻平和会館までの道の左右には石灯籠が並んでいました。
およそ2kmぐらいでしょうか。
この石灯籠、戦没特攻隊員と同数の1,036基が並んでいるとの事。
灯籠1つ1つに重みを感じました。



明日3日は慰霊祭。
慰霊祭に備え、撮影の打合せを入念にしました。

慰霊祭では、特攻隊員達へ心からお祈りを捧げたいと思います。

2006年05月02日 17:22

スズナリ軍曹=モンチッチ軍曹?

スズナリ軍曹です。こんにちは
先日撮影現場に行って来ました。

スタジオに入って最初にお会いしたのは
多部未華子さんとマネージャーさん。

挨拶をする私を見て、マネージャーさんが
「モンチッチみたい!!」と。
多部さんも「ほんとだ、モンチッチだ」と笑顔。
モンチッチってあのおサルさんのお人形!?

うーん、確かに似ているかも…。髪型が…。
カワイイからいいじゃん、モンチッチ~と
うかれていたら隣にゆっちんが…。

ゆっちんは何も言っていませんでしたが、顔には確かに
「いや、スズナリ軍曹、全くカワイク無いから」
と書いてありました

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

多部さんが演じるのは、トメさんの次女の鳥濱礼子さん。
礼子さんは特攻基地で、特攻隊員らの身のまわりのお世話や
洗濯、食事の運搬、そして出撃をする隊員を見送る【奉仕隊】でした。

この日の最初の撮影は早朝の富屋食堂。
鳥濱家の朝食。
学校からの電話で礼子さんに制服とモンペを着て、
飛行場に向かうように指示が来るシーンでした。

この日から、特攻基地で働く事になる礼子さん。

特攻隊員たちと触れ合っていた礼子さんを演じる多部さん。
どんなお気持ちで役に挑んでいるのか今度聞いてみようかなぁ。

2006年04月25日 14:38

知覧の慰霊祭へ行って参ります。

こんにちは、スズナリ軍曹です

先日、私にある指令が出されました。
それは、5月3日の知覧特攻基地戦没者慰霊祭の模様を
取材する事。
メイキングクルーと一緒に知覧へ行ってきます

昭和20年3月に本土最南端航空基地として陸軍最後の特攻基地となり、
若き勇士がこの地から飛び立ち、散華した思い出深き土地・知覧。

私はこの知覧へ赴ける事を深く感謝しています。
この作品の為だけでなく、戦争を知らない者の一人として
貴重なお話を色々聞いて参りたいと思います。

ゆっちんが紹介しております
知覧特攻平和会館や富屋食堂も訪れてきます。

後日、慰霊祭のお話を綴ったお便りを
皆様にお届けいたします。

2006年04月17日 15:43

はじめまして。スズナリ軍曹です。

皆様、初めましてスズナリ軍曹と申します。

これから映画公開まで、ゆっちんとたぐちっち伍長とで、
「俺は、君のためにこそ死ににいく」の様々な情報をお届けいたします。
どうぞよろしくおねがいいたします!!

まず、4月6日に行われた製作発表の様子!!
んっ!?
情報としては遅くないか?
まぁ、そう言わず。

サクラの紙吹雪が舞う華やかな演出で、緞帳が開くと
徳重聡さん、窪塚洋介さん、筒井道隆さん、岸惠子さん、
前川泰之さん、中村友也さん、渡辺大さん、木村昇さん、
蓮ハルクさん、宮下裕治さん、中越典子さん、多部未華子さん、
石原慎太郎東京都知事 新城卓監督の姿。
なんと総勢14名が登壇。

すっ、すごい豪華!! 詳しくはコチラ

男性キャストはなんと全員3分刈り。
これは“中途半端な気持ちで特攻兵役は演じられない”という強い意志の表れとの事。
この映画に対する熱い想いと、気合がビシビシ伝わります。


本日4月17日の撮影は、小雨煙る中、白木の箱を抱きかかえた
遺族を傘も差さずに正装した町民達が迎えるシーン。―英霊の帰還。
敬礼で見送る中西少尉(徳重聡)の横顔には雨が降りしきる。

私は会社にいますが、順調に撮影が進んでいる事を願います。
中西は英霊の帰還をどんな気持ちで見ていたのでしょうか?
©「俺は、君のためにこそ死ににいく」製作委員会